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		<title>Blog   - YOGHINA -</title>
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		<description>Kaoru's  Blog</description>
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	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=139">
		<title>梅</title>
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		<description>大阪城に梅を見に行った。ピンクが終わり気味で、濃い紅色と白い花が見頃だった。私が梅を見ながら、これはちょっと咲きすぎ、こっちはまだ、この紅いのがきれい！と梅の花を評価しながら、娘に、どれが一番キレイ？...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>大阪城に梅を見に行った。<br />ピンクが終わり気味で、濃い紅色と白い花が見頃だった。<br />私が梅を見ながら、<br />これはちょっと咲きすぎ、こっちはまだ、この紅いのがきれい！<br />と梅の花を評価しながら、<br />娘に、どれが一番キレイ？<br />と聞くと、ちょっと真剣な怖いくらいの顔をして、<br />どの梅もみんなきれいだよ！</p><p>美しい、という言葉、<br />私はこれをいつも何気なく使っているし、この言葉の意味を自分では<br />わかっているつもりなのに、まったくわかっていない、<br />とまた気づかされる。</p><p>美しい、と私が思う時感じる時、<br />これはきれい、でもあれはまあまあ、とか、あれはちょっときれいじゃない、<br />とか私は比べて、自分の頭で、心で評価する。</p><p>美しい、という言葉の意味、<br />それは、言葉としてこっちの世界にやってくる瞬間の感覚が、<br />心地よく、素晴らしく、完全なあの感覚のことだ。</p><p>私というフィルターを通らないで直接やってくるあの感覚。</p><p>それが美しいという意味だ。</p><p>梅の美しさの中にだだ浸っていたい。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2010-03-03T17:14:00+09:00</dc:date>
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		<title>ありがとう。</title>
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		<description>先日私の誕生日でした。有機栽培のお野菜を頂きました。ほうれん草が生命力溢れていてそれを食べた家族みんな元気になりました。ありがとう。そして私の妹達、離れていても心はひとつ。胸いっぱいの愛をありがとう。...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>先日私の誕生日でした。<br />有機栽培のお野菜を頂きました。ほうれん草が生命力溢れていて<br />それを食べた家族みんな元気になりました。<br />ありがとう。</p><p>そして私の妹達、<br />離れていても心はひとつ。<br />胸いっぱいの愛をありがとう。<br />sweet, strong  and cool　に　ヴィハラティ（過ごす）します。</p><p>Om shanti shianti shantihi </p><p>Kaoru</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2010-03-03T17:13:00+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=137">
		<title>Merry Christmas</title>
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		<description>私は生命そのもの。生命のリズム、私が存在しているのは、私の中をそれが行ったり、来たりしているから。私に呼吸させている力が生命の源。存在のもと。それは呼吸、息をさせる力、それはenergy, すべての中に存在して...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>私は生命そのもの。<br />生命のリズム、私が存在しているのは、私の中をそれが行ったり、<br />来たりしているから。<br />私に呼吸させている力が生命の源。<br />存在のもと。</p><p>それは呼吸、息をさせる力、<br />それはenergy, すべての中に存在しているenergy.</p><p>それを 意識すること、そうしたらそれが繋がって、すべての物と繋がって、<br />ひとつになっていることがわかる。</p><p>私はそれの一部、一部としてすべてに繋がっている。</p><p>それは神、どこにでもいて、気づいてさえいれば、<br />いつも一緒にいられるもの。<br />喜びそのもの。<br />ぷちぷちはじける生命のenergy.<br />すべてを活かしている力。</p><p>神様といつも一緒にいられますように。</p><p>生きていることそのものが、それだけが、神様と一緒にいる、ということ。</p><p>Merry Christmas.</p><p>sat, chit, aananda, hari  OM</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-12-25T11:25:00+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=135">
		<title>時間</title>
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		<description>時間が飛ぶように過ぎる。気がつくともう１２月、２００９年が終わろうとしている。２０代の頃は、飛ぶようなことが大好きだった。例えば飛んでどこかに行ったり、飛んでいる夢ばかり見たり、瞑想してもどこか別の所...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>時間が飛ぶように過ぎる。<br />気がつくともう１２月、２００９年が終わろうとしている。</p><p>２０代の頃は、飛ぶようなことが大好きだった。<br />例えば飛んでどこかに行ったり、飛んでいる夢ばかり見たり、<br />瞑想してもどこか別の所に行ってしまうことばかり期待していた。</p><p>要するに、そこにいることが出来ないのだ。</p><p>ところがそれからまた２０年たって、ふと気がつけば、<br />飛び気もないのに生活しているだけで、飛ぶがごとく月日が過ぎ去る。</p><p>これは何とも不思議なことだ。<br />だからといって私は時間に追われている訳ではない。<br />実際は追われているごとく、くるくる動いて考えているわけなのに、<br />私はいつもここにいるのだ。</p><p>吸う息と吐く息の間にいるのだ。<br />私は瞬間というのをみつけた。<br />そしてそれを手に入れた。</p><p>なんかそれを考えるとクスッと笑ってしまう。<br />瞬間っていうのは、今ここにいるってこと、<br />すべては瞬間的。</p><p>sarvan  shanikham</p><p>アニル先生が私に教えてくれたその言葉が今よくわかる。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-12-14T13:02:00+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=134">
		<title>割れた器</title>
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		<description>７年間大事に使っていたガラスの容れ物が割れた。いつの絶妙なバランスでしまわれていたその器、それでも７年間そこから落ちてきたことはなかった。私はとても哀しかった。たかが器が一つ壊れただけなのに、涙が出て...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>７年間大事に使っていたガラスの容れ物が割れた。<br />いつの絶妙なバランスでしまわれていたその器、それでも７年間そこから落ちてきた<br />ことはなかった。</p><p>私はとても哀しかった。たかが器が一つ壊れただけなのに、涙が出てきた。<br />"よくも落としたな、”という気持ちが少しと、”あ、もったいない”、も少し、<br />でもそれよりも何か別の感情があった。</p><p>何年も役に立って重宝でいい器だった。私たちが作ったいろんなもの、トマトソース、<br />ホワイトソース、カレー、野菜、果物、何でも保存してくれた。<br />それがなくなった。</p><p>形あるものはいつかは壊れる。<br />命あるものはいつかは死ぬ。<br />物事は変化する。</p><p>人間の身体と同じ。<br />プラクリティのものは常に同じ状態ではない。<br />形はなくなって別のものになる。<br />これが自然というものだ。</p><p>私は物に対しても、別にそれが高価なものでなくても、身に付ける物でなくても、<br />替わりがいくらでも売っていても、心で感じる何かがあること、<br />そしてそれに対する気持ちが外に出てきた、それは、</p><p>ありがとう、という気持ちだった。</p><p>私は心の中であの器に、ありがとう、と言った。<br />そして、さようなら、とお別れした。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-10-23T11:54:00+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=133">
		<title>座ること２</title>
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		<description>私に　”座ること”を勧めてくれたのは友達のパーシーだった。２０年以上も前のことだ。その頃彼はインドに行って、ラジニーシのサンニャーシになって帰って来た。名前はアーナンダになった。最高の至福、絶対の至福...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>私に　”座ること”を勧めてくれたのは友達のパーシーだった。<br />２０年以上も前のことだ。</p><p>その頃彼はインドに行って、ラジニーシのサンニャーシになって帰って来た。<br />名前はアーナンダになった。</p><p>最高の至福、絶対の至福、最近聞いたなかなか素晴らしい表現は、井上ウィマラ<br />先生のおしゃっていた、細胞全部で感じる喜び、それが”アーナンダ”だ。</p><p>とにかく座りなさい。</p><p>身体が痛い、時間がない、疲れた、と言ってる私に、ただ座れ、と言う。</p><p>そして取り合えず座ってはみたものの、座っていられないのである。<br />ただ座ることが何と難しいことであるか。</p><p>私は、できなかった。</p><p>そうしたら彼は、<br />”何をするのにも心を込めてやりなさい。それが瞑想だ。”<br />という。</p><p>これならちょっとできそうだった。何もしないで座っていなくていいのだから。</p><p>ひとつひとつ心を込めて何かする。<br />心を込める、集中する、ダーラナー、それが続いていくことが瞑想なんだから。</p><p>心を込める、集中する、ここにいる、今その瞬間にいること、それが瞑想なんだ。</p><p>スティラ　スカン　アーサナム<br />安定していること、快適なこと、それがアーサナだ。</p><p>とパタンジャリは言う。</p><p>アーサナ、座法、座ること、<br />５０００年も前から人は座って瞑想してきたのだ。</p><p>５０００年前、日本がまだ縄文時代で、縄の模様がいっぱいついたあの美しい大きな壷を<br />作っていたとき、インド人は瞑想していた。</p><p>そしてそれを今にも伝えている。<br />座ること、それは人間にとって形ではなく伝えられてきた、何かすごいものなのだ。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-10-13T21:15:00+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=132">
		<title>座ること　１</title>
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		<description>朝目が覚めると、まずお祈りをする。ある方の病気が早く治りますように、苦しみがなくなりますように。神様ありがとう、今日も素晴らしい朝を与えて下さって本当にありがとう。その後すぐに起き上がって座る。パドマ...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>朝目が覚めると、まずお祈りをする。<br />ある方の病気が早く治りますように、苦しみがなくなりますように。</p><p>神様ありがとう、今日も素晴らしい朝を与えて下さって本当にありがとう。</p><p>その後すぐに起き上がって座る。<br />パドマアーサナで座って、背骨を下から整えていく。</p><p>静かに呼吸を意識し始めると、胸の裏の辺りでポキッという。</p><p>スーリヤマントラを唱える。</p><p>ヨーガスートラが浮かんでくる。</p><p>ヴィタルカ　バーダネー　プラティパクシャ　バーヴァナン</p><p>その意味を考えるというより、ただ感じている。</p><p>否定的な考えが出てきたら、反対のことを思う。</p><p>太陽の光の中、新しいエネルギーで心も身体も満たされたら、<br />とっても気持ちがいい。だからこの感覚をずっと覚えていていよう。</p><p>そして、なにか嫌なことがあっても、ネガティヴなことを考えても、<br />誰かが私のそういう気持ちを引き出しても、そういう時はいつでも<br />この素晴らしい瞬間を思い出そう。</p><p>朝座ると、一日中とてつもなく大きなエネルギーとつながっていられる。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-09-11T21:11:00+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=131">
		<title>滝</title>
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		<description>ようやく大阪も長かった梅雨が終わったと思ったら、台風がやって来た。雨の中お盆で山梨に帰ったら、今度は地震。久しぶりの早朝の震度４は怖かった。地震と台風が一緒にやって来るのも怖かった。いつ雨が降るのか分...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ようやく大阪も長かった梅雨が終わったと思ったら、台風がやって来た。</p><p>雨の中お盆で山梨に帰ったら、今度は地震。<br />久しぶりの早朝の震度４は怖かった。<br />地震と台風が一緒にやって来るのも怖かった。</p><p>いつ雨が降るのか分からないまま、山奥の滝に行った。<br />道路で車を降りて森の中に入った。一歩入ると、ひんやりと冷たい。<br />木と土のいい香と、木から出てきたばかりの新鮮な酸素で満たされた森の中<br />滝に向かって進んだ。</p><p>１０分もかからないでもう滝についた。その滝は小さな滝とその上にまた大きな<br />長い滝が２重になっていた。</p><p>水しぶきの中で水着になって川の中に入った。<br />なんとも冷たい水だった。一歩中に入って身体中が冷えてしまうくらい。</p><p>それでも子供達は、川から滝壺に向かって泳いでいた。<br />そして高い岩の上に上っては、そこからジャンプして飛び込んでいた。</p><p>私は、中が見えないし、どれくらいの深さか分からない所になんで飛び込むことが<br />できるのか不思議だった。</p><p>滝の近くに行くと、耳に入る全ての音が水の落ちる音に変わる。<br />あまりの音に耳の感覚が麻痺しそうになる。</p><p>水の中に入った足もあまりの冷たさにそれ以上身体を水につけることができない。</p><p>２年前はザボンと中に入ったのに、今年は水の量が多いし、冷たいし、寒いしで、<br />とても腰から上が水に入っていかない。</p><p>あたりを見渡すと、緑のいろんな木に囲まれて、葉っぱの間からほんのちょっとだけ<br />光と雲と青空が見える。</p><p>滝の下にいるとこの世のことがすべてなくなる。<br />滝の音と水と緑と岩とそこの空気、そして私達だけの世界。</p><p>滝壺まで泳ぐと、突然ものすごい勢いで逆方向に戻される。<br />どんなに意識して踏ん張ろうとしても、水の力には適わない。<br />どうしても滝壺には行けない。</p><p>今年は台風のせいか、子供達も滝壺までもおよいでいけなかった。</p><p>私は結局下半身浴だけしてあがった。<br />それでも水につけた部分は何だか生き返ったように気持ちよかった。</p><p>帰りは山道ですってんころりんして、また森を出たら、太陽がギラギラで暑かった。<br />あの時冷たくても我慢して水の中に入って泳げば良かったな、と思った。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-08-19T19:58:00+09:00</dc:date>
	</item>
	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=130">
		<title>梅雨</title>
		<link>http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=130</link>
		<description>今年はなかなか梅雨が明けない。もう真夏なのにいつも雲の様子が変わっている。大阪に来たばかりの頃、６月からの梅雨の間、空気中の水分が全部自分に吸い付いて来るような感じ、要するにこのひどい湿気に悩まされた...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>今年はなかなか梅雨が明けない。もう真夏なのにいつも雲の様子が変わっている。</p><p>大阪に来たばかりの頃、６月からの梅雨の間、空気中の水分が全部自分に吸い付いて来るような感じ、要するにこのひどい湿気に悩まされた。</p><p>とにかくしっとりじゃなくて、じっとりしている。<br />そしてすぐ汗が出る。</p><p>汗はすぐにあせもになる。<br />かゆくなって真っ赤になる。<br />お湯で洗うと広がって、石けんをつけると痛くなる。</p><p>その繰り返しで夏が来るはずなのにまだ雨が降る。</p><p>またこの季節はなにやらとても喉が渇く。<br />お水をたくさん飲んで、お腹の中がパンパンなのに、まだ喉が渇いている時がある。</p><p>そんな時、私は果物や梅をお酢に漬けて、そのお酢を水で割って飲む。<br />梅に氷砂糖だったり、黒砂糖、蜂蜜、リンゴ、夏みかん、金柑、これは喉にも<br />とてもいい。　</p><p>夏みかんを漬けたお酢はナンプラーやヌクマムを混ぜるとエキゾチックなたれに<br />なる。</p><p>雨期のインド（北インド）で、ふらふら外をほっつき歩いていると、とにかく<br />喉が渇いて仕方がない。みんなが美味しそうに炭酸を飲んでるので、普段炭酸を<br />飲まない私もどうしても飲みたくなる。</p><p>特にインドにしかないリムカが飲みたくなる。<br />そして飲んで後悔する。<br />お腹が痛くなって、どうしようもなくなるのだ。</p><p>そういえば、リムカの味もう覚えていない。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-07-30T19:33:00+09:00</dc:date>
	</item>
	<item rdf:about="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=129">
		<title>クリヤーヨーガについて</title>
		<link>http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?no=129</link>
		<description>ヨギーナが京橋のスタジオに移って二年目から、”ヨガする時間”が始まった。これは、ヨガという実践がしっかりと生活に結びついた私の時間であると共に、参加する一人一人がヨガを通して自分を見つめ自分で考える時...</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.yoghina.com/blog/diary.cgi?mode=image&amp;upfile=129-1.jpg" class="top"><img src="http://www.yoghina.com/blog/data/upfile/129-1.jpg" alt="ファイル 129-1.jpg" width="200" height="266" /></a></p><p>ヨギーナが京橋のスタジオに移って二年目から、”ヨガする時間”が始まった。<br />これは、ヨガという実践がしっかりと生活に結びついた私の時間であると共に、<br />参加する一人一人がヨガを通して自分を見つめ自分で考える時間だった。</p><p>その中で私はパタンジャリのヨーガスートラをサンスクリットで一緒に勉強することにした。<br />このスートラの小さなテキストは、リシケシのシヴァナンダアシュラムの本屋でクリシュナ<br />ナンダジに霊的に(つまりビビッとして）勧められたののだ。</p><p>いつものようにオレンジ色のほおかぶりを被り、にこっと笑っているスワミジ。<br />クリシュナナンダジは知の聖者と言われ、当時（１９９５年）インド中世界中からたくさん<br />の人がダルシャンに来ていた。</p><p>スワミジはとても頭のいい方で言葉も難しくわからないことだらけだったが、<br />その存在は、この世にいてもいなくても今でも時々私に話しかけてくる。</p><p>そのスワミジが私にいった。<br />ヨーガスートラを勉強しなさい。スワーディヤーヤ（自己学習）しなさい、と。</p><p>１９９７年、私は初めて出産した。<br />息子との最高の出会いの中、もう一人との別れがあった。<br />頭では理解していたのに、心はそれを受け入れられない。<br />私は絶望の中だった。</p><p>その絶望の闇の中から私を救い出してくれたのが、たった一言のスワミジの言葉だった。<br />私はそのスワミジの言葉を、その時自分の魂から受け入れることが出来た。</p><p>闇を取り除いてくれる、というグルの意味、まさにそれそのものだった。</p><p>”自分の身体のすべての部分、手、足、頭は宇宙のそれぞれの星と繋がっていて。<br />自分ではどうすることもできない。”</p><p>自分の力には限界があって、私がそれを思い知った時、はじめて私は大きな大きな<br />もっともっと大きな力、力そのものと繋がることができる、その力の中にいることが<br />できる。</p><p>それがわかったのは、私が、物事が自分の思い通りにならない、しかも一番なって欲しい<br />時にならない、それを思い知ったからだ。</p><p>それはどうしようもない苦しみとなって、深い悲しみとなって、涙も出なくて、<br />自分の中の奥深く深くへ沈んでいった。<br />そこしか他に行くところがなかった。</p><p>心が完全に静まった時、私はゆっくりとゆっくりと浮かび上がるように戻ってきた。<br />新しい自分に生まれ変わって、<br />苦しみを受け入れることによって心がすっかり浄化されて、<br />別の自分になって戻って来れた。</p><p>私の手足は宇宙の星と繋がっているのだ。<br />なんて素敵なことなの、そう感じた瞬間に闇はなくなり、私は光の中にいることができる。</p><p>クリヤーヨーガの一番はじめ、<br />タパハ、サンスクリット語で熱、火、苦行、宗教的禁欲を意味する言葉、<br />それは、”苦しみを受け入れること”<br />そこからクリヤー、実践のヨガは始まる。</p><p>何のために？<br />ヨガの究極の目的のために。</p>]]></content:encoded>
		<dc:date>2009-07-12T15:03:00+09:00</dc:date>
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